「捨てるなんてもったいない」というのは、今よりも圧倒的にモノが少なかった時代の考え方です。おじいさんやおばあさんから、そのようなしつけを受けた親世代が、私たちをそう教育してきたのです。
しかしモノが溢れている現代において、そのような考え方をしていたら、自分で自分の首を絞めることになりかねません。
とはいえ、小さい頃から教え込まれた「捨てるなんてもったいない」という概念は、なかなか頑固に私たちの頭にこびりついていますよね。
今回はそんな "モノを捨てられない" 方たちへ、モノの価値をエネルギーベースで考えてみませんかというご提案です。
モノの持つエネルギーに関しては、前回の記事をご覧ください。
「捨てるなんてもったいない」の裏側にある2つの罪悪感
「捨てるなんてもったいない」の裏側には、大きく分けて2つの罪悪感があると、私は考えています。
まだ使えるモノをゴミにしてしまうことへの罪悪感
モノを捨てられない原因として、"完全な形だと捨てられない" という人間の心理が働いていることが挙げられます。
例えば食器の場合、どこかが割れたり欠けたりしていれば、罪悪感なく捨てられるのですが、どこも割れたり欠けたりしていなければ、捨てられないということです。
でも、考えてみてください。
割れた食器を捨てるのと、割れても欠けてもいない同じ食器を捨てるのと、ゴミの量に変わりはありませんよね。
ボロボロになった服を捨てるのと、まだ綺麗だけれどもう着ることのない服を捨てるのも、同じです。
では仮に、捨てるのはもったいないと思い続けて、一生持っていたとします。
しかし、あなたが死んだら、結局それはゴミになるのです。
ということは、モノを買った時点で、いずれは捨てることになるということ。
もっというと、モノが作られた時点で、いずれゴミになるということ。
つまり、人間が生産活動を縮小しない限り、世界のゴミの量が減ることはないのです。
大量生産・大量消費の現代では、もはやそれを前提として生産活動が行われています。
アパレル業界では、毎年大量の新品の服が廃棄されているんだとか…。
唯一、生産活動を縮小しないでゴミの量を減らせるとしたら、それはリサイクルに回して新たなモノに生まれ変わらせてあげるという方法になるでしょう。
すんなり引き取ってくれるお店があるのであれば、是非そうするべきです。
しかし、引き取って欲しいモノが沢山あって、時間がかかりそうな場合は、潔く捨ててしまった方が良いように思います。
引き取ってもらうまでの間、その要らないモノたちは、刻一刻とあなたのエネルギーを奪い続けるからです。
まるで、リサイクルに出すことが義務であるかのように、頭の隅に作られたTODOリストに入ってしまって、本当に自分の手元からなくなるまで、心置きなく遊んだり休んだりすることができなくなってしまうのです。
お金や人の気持ちを活かせなかったことへの罪悪感
今度は、モノにまだ価値が残っていると感じる場合です。
例えば、1万円で買った服を5年間着ました。
何度も着て何度も洗濯して、さすがにボロボロになったとします。
それなら罪悪感なく捨てられますよね?
では、同じく1万円で買った服を5年間持っていたけれど、あまり着る機会がなく、まだ生地もしっかりしていて型崩れもしていないとします。
捨てられますか?
恐らく、もったいないと思ってしまうのではないでしょうか。
それがもっと高いモノだったら、どうでしょう。
5万円で買ったのにあまり使う機会がなく、まだピカピカの状態だったとしたら、「捨てるなんて、あぁ、もったいない!」と思いますよね。
それは1万円のモノを1万円分、5万円のモノを5万円分、活かしきれなかったという罪悪感が発生するからではないでしょうか。
続いて、プレゼントで貰ったモノの場合。
せっかく貰ったのに使っていないモノがあったとしたら、「捨てるなんて、もったいない!」と思いますよね。
これは、せっかくプレゼントをくれた相手の気持ちを踏みにじる行為のような気がしてしまうからです。
お金を払ってくれた、あるいは時間をかけて作ってくれたのに、それを活かしきれなかったという罪悪感を覚えるのではないでしょうか。
レストランで食事をすることの価値
幼い頃の思い出
少し話は変わりますが、皆さんは食べ放題のお店やホテルのブッフェで「沢山食べなきゃ損だ!」と思って、お腹がパンパンになった経験はありませんか?
これは私が小さい頃、家族で食べ放題のレストランに行った時の遠い記憶です。
私が、もうお腹がいっぱいで食べられないと言ったら、母に「あと少しなんだから食べなさい!もったいない!」と言われました。
そして帰り際、とうとう気持ち悪くなった私がトイレに駆け込んで吐いてしまうと、今度は「吐くほど食べなくてもいいのに…もったいない…」と言われました。
もったいないの定義ってなんだろう!?と、すごく疑問に思ったのを覚えています。
※母のことを悪く言うつもりはありません。昔から胃が小さく、家でもすぐにお腹がいっぱいだと言い張っていた(…そのくせお菓子は食べる。笑)ので、気持ち悪くなるほど満腹だなんて思っていなかったのだと思います。
先輩が教えてくれた概念
一方私が大学生の頃、定食屋さんで「ご飯を残してはいけない」と苦しい思いをしていたら、先輩がこんなことを言ってくれました。
「お腹がいっぱいで苦しいのに、無理して食べる必要はない。500円の定食なら、自分が500円分楽しめればそれで良いんじゃないか。」
当時の私の頭には全くない考え方だったので、とても衝撃的でした。
食事の価値をエネルギーに置き換える
恐らく私の母は、3000円の食べ放題なら3000円分の量のお料理を食べて、栄養もきちんと吸収しなければ "もったいない" という考え方をしていました。
しかし先輩は量に対してではなく、お料理の味や食事の時間、空間などを総合して、自分が3000円分の美味しい・楽しい・嬉しいという気持ちを得ることができたなら、それで良いと考えていたのではないかと思います。※真意は知りません(笑)
その、美味しい・楽しい・嬉しい気持ちというのは、つまり前回のお話でいうところの「食事で得られるエネルギー」。
仕事でエネルギーを注いで手に入れた3000円というお金を使って、3000円分のエネルギーを得ることができたなら、それで良いのではないかということです。
モノの価値もエネルギーベースで考えてみる
もちろん、全てのモノを無駄なく最後の最後まで使い倒せるのが理想です。
でも、モノが溢れている現代社会において、そんなことは不可能です。
年齢や時代によって好みは変わりますし、沢山の選択肢があるからこそ、時が経てばどんなものも飽きますよね。
それならば、モノ自体に価値を見出すよりも、モノから感じられるエネルギーに基準をおくのが良いのではないでしょうか。
プレゼントは、気持ちを受け取るモノです。
モノ自体からエネルギーを感じられなくても(つまり好みのモノでなくても)、相手からの気持ちは、やっぱり嬉しいですよね。
そのエネルギーさえ受け取れば、それで良いのではないかと思います。
そして自分で買ったモノに関しては、1万円の服なら、自分が1万円分楽しめればそれで良いということ。
モノからエネルギーを感じなくなったら、心置きなく手放すということです。
もちろん、何も考えずにポンポン買って、すぐに飽きたとポンポン捨ててしまうのは、お金がいくらあっても足りませんし、モノに対しても失礼です。
レストランで、明らかに食べきれない量を注文して大量に食べ残すのも、食べ物を大切にしているとは言えないですよね。
(食べ放題のお店であれば、お店側の不利益にも繋がります。)
ですから、手に入れる時にはじっくり検討することが必要です。
でも、自分がエネルギーを感じなくなった(つまり、そのモノに飽きた)となると、もう今後、恐らく使いたくなることはありません。
この事実をしっかりと受け入れて、一時でもエネルギーを与えてくれたことに感謝して手放す…。
そして、これからお買い物をする時は、できるだけ沢山のエネルギー、もしくは長くエネルギーを受け取れそうモノを手に入れられるようにしていくしかないのだと思うのです。